2014年初詣 浅草寺


2014.01/05 初詣に行った浅草寺の写真です♪



雷門 (風雷神門)

天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。
鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたといわれる。
当初は、伽藍守護のために風水害または火災からの除難を目的としてこの二神がまつられたもので、
一種の護法善神(ごほうぜんしん)と見るべきものであったが、
さらには、風雨順時の天下泰平、五穀豊穣の祈願もこめられるようになったものと推測される。

現在の門は、慶応元年(1865)12月12日の田原町大火で炎上した門に替わり、
昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により復興再建され
浅草寺の総門として威容を誇っている。また、浅草の顔としても全国的に有名。



仲見世

歴史仲見世の始まりから現在まで仲見世の生いたち仲見世は日本で最も古い商店街の一つです。
徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいましたが、
それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、
境内や参道上に出店営業の特権が与えられました。
これが仲見世の始まりで、元禄、享保の頃といわれます。

江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、
20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、
次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。
明治維新の政変により、寺社の所領が政府に没収され、浅草寺の境内も東京府の管轄となりましたが、
政府は新しく東京に5公園を作り、公園法を制定して以前からの一切の特権が仲見世から取り上げられました。
明治18年5月(1885)東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣き泣き退店した後、
煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が同年12月に完成、近代仲見世が誕生しました。。

今の仲見世には東側に54店、西側に35店、合計89店の店舗があり、長さは約250メートル
美しい統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え、雷門をくぐった海外からのお客さまなどは、
みごとな日本的情緒に思わず「ワンダフル」を連発するそうです。



宝蔵門 (旧称 仁王門)

『応永縁起』によると、安房守平公雅(たいらのきんまさ)が
武蔵守に補任された天慶5年(942)、その祈願成就の御礼として建立された。
以来、数度の火災により炎上するも、その都度再建された。
鎌倉時代から江戸初期にかけては、あまり変化はなかったが、
その後、徳川家光により再度の寄進建立が行われ、
本堂と仁王門が慶安2年(1649)12月23日落慶、元禄5年(1692)に
京都の曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)良尚法親王ご染筆の「浅草寺」の扁額がかけられた。
その後、昭和20年(1945)3月10日の戦災に遭うまで平穏無事だった。

現在の門は浅草寺の山門として、内部三層のうち上部二層に近代的防災設備を施した収蔵室を設け、
浅草寺の什宝物収蔵の宝蔵門として大谷重工業・ホテルニューオータニ創始者の
大谷米太郎氏のご寄進により復興再建された。



五重塔

五重塔とは、お釈迦さまのご遺骨を奉安する仏塔の形式の一つである。
浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)が本堂と共に建立したのを初めとして、
その後数度倒壊、炎上に遭ったが、その都度再建された。

徳川3代将軍家光により本堂・仁王門などと共に建立された国宝五重塔は太平洋戦争の戦火により、
昭和20年(1945)3月10日、他の伽藍とともに惜しくも焼失した。
戦後、浅草寺は十方ご信徒各位のご信助を得て、本堂、雷門、宝蔵門と伽藍復興に邁進し、
牌殿・書院・他付属施設を備えた新様式の五重塔院を再建するに至った。



宝光山大行寺 浅草不動尊

浅草寺内にあっても、ここは別のお寺だそうです。
関東三十六不動霊場の旧22番札所。

なでぼとけ

荒神堂と不動堂の間に「なでぼとけ」があります。
脇の小箱に賽銭を入れ、自分の体の悪い箇所と同じところをなでると治るという。
開運、厄除け、虫封じにご利益。



本堂 (観音堂)

昭和33年(1958)10月、全国ご信徒のお力添えにより再建された現本堂は、
鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、昭和20年(1945)3月10日に
惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態である。
一見して感じる特徴は屋根の勾配が非常に急で、従って棟が他寺院と比較して
すこぶる高く相当遠方からでも望見できる。
お堂は南に面し、350坪の堂内は畳敷の内陣、コンクリート敷の外陣とに分けられており、
内陣中央にはご本尊聖観世音菩薩を奉安する御宮殿(ごくうでん)がある。
御宮殿内には、ご秘仏本尊聖観世音菩薩、慈覚大師作のお前立ご本尊(12月13日お開扉)の他、
徳川家康、徳川家光、公遵法親王などの護持仏であった観音像が奉安されている。
御宮殿の左右には梵天・帝釈天の二天がまつられ、またご本尊の脇侍(きょうじ・わきじ)としては
内陣右奥に不動明王、左奥には愛染(あいぜん)明王がまつられている。



影向堂 (ようごうどう)

観音さまのお説法やご活躍に不断に協力されている仏さま方を
「影向衆(ようごうしゅう)」とお呼びし、これらの仏さまをおまつりするお堂。
旧影向堂は、現淡島堂で二天門の脇にあった。
現在のお堂は、平成6年(1994)、浅草寺中興開山慈覚大師円仁(えんにん)さまの
ご生誕千二百年を記念して建立された。
鉄筋コンクリート寄棟造り、錣(しころ)屋根本瓦葺。
内陣須弥壇(しゅみだん)中央に聖観世音菩薩、その左右に生れ年(干支)ごとの守り本尊八躰をまつる。
堂内には浅草名所(などころ)七福神の内の大黒天をお祀りし、
また浅草寺の御朱印所も併設されており、ご朱印をお求めになるご信徒の方々も大勢お参りになる。。

六角堂

室町時代(16世紀頃)の建立とされる。木造単層六角型造。
本尊は日限(ひぎり)地蔵尊で、日数を決めて祈るとその願いが叶うとされる。
(都内最古の木造建造物、東京都指定文化財)

石橋

元和4年(1618)東照宮の神橋として架設された。
全長3.3m・幅2.2m、小松石造(都内最古の石橋、重美)



浅草寺観音籤

第二十九「吉」が出ました☆
読むと、とても良い結果です ゚+.(o´∀`pq)゚+.



お土産

「ピーナッツ糖」と「甘栗」を購入〜



最後まで見ていただきありがとぅございました ヽ(◎´∀`◎)o ジェニー



※各スポット、施設についての詳細は公式サイトをご覧下さい。

「浅草寺」
「仲見世」
「浅草不動尊」







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